「友達」の線引きがわからない
「友達」という言葉は実に難しい言葉だと常々感じる。
先日、大学の先生と課題のテーマを混じえたディベート会のようなものが開かれた。
その時、「友達」というモノの線引きや概念についての話が度々出てきて、いわゆる「友達はどこまでを友達と呼ぶか」と言ったものだった。
その問いに対して僕は「お互いが友達だと感じていたら」という解を出した。
だが、ここで1つの疑問が生じた。
「自分が友達と思っている人物は本当に自分のことを友達だと思っているのか」ということだった。
我ながらネガティブな思考だなとは思っているけど、そのことを考えずには居られなかった。
「友達」の線引きの正解が上記の考え方なら、僕は「この人は友達だ!」と胸を張って言える人間は片手で数える程しかいない。
ただ、自分のことを友達だと思っているのかなんてことを聞くのは誰がどう考えたってナンセンス。
お昼の放送でVOCALOIDの楽曲を流した田中くんと同じだ。
そして、僕は学科の人もサークルの人も実名を出さない限りは「学科の子(人)」「サークルの子(人)」という名称で家族と会話をしていることにも気づいた。
知らず知らずのうちにそういったはっきりとした線引きをどこかでしていたのかもしれない。
他人の愚痴は好きじゃないし、他人に対して嫌いな部分を見つけようとは思わない。
ただそれって付き合いが薄くて上辺だけの関係だからなんじゃないかって最近考え出したりしちゃった。
こうなったらもう蟻地獄。簡単に抜け出せる術ははっきり言ってない。
「他人は自分を映す鏡」と昔の人は語った。
でもそこに「友達」という曖昧な概念はどこにも存在しない。
いままで簡単にしていたことである他人にどう接してたのかがいよいよわからなくなったからなのかそれとも単純に体が疲れているからなのかとても眠たくなってきた。
ボヤける意識の中で、イヤホンからは「このままではこのままです でもそのままが1番かもよ」なんて歌ってるミュージシャンの乾いた声が聴こえた。
「それはそうかもな」と思う間もなく、浅い浅い眠りについた。