在りし日の残像が
3月も中旬、年度が終わろうとしている。
モラトリアムも折り返し地点を越え、後半戦といったことになってしまっている。
早い。いくらなんでも早すぎる。
1年のスピードが年々早くなっている。
ここ1ヶ月ほどは何においても足りない日々を過ごしている気がする。
具体的に言うと沢山ある。
自分の脳内や精神面でのキャパシティ、時間、自分の能力、社会性、協調性etc...
気疲れしている日に限って昔のことを思い出すことも多くて、元気一杯に走り回っている小学生を見る度にあの頃の日々の懐かしさとか、なんでも出来そうだった自分への憧れで今の自分が押しつぶされそうになる。
いつからこんな気持ちを抱えることが増えたのだろうか。
月の光にさえも感情が溢れてしまうほど弱く憔悴している俺を昔の俺はどんな目で見るのだろうか。
赤く腫れた瞼で街はゆらゆらと錯視している。
あの日確かにここにいた俺の影が「何処へでも行けるさ」と悲しそうな顔をして囁いてくる。
先の見えない先行投資を抱えながらいつだって不安で仕方がない日々をひーこらひーこら生きるしかない。
いまはそれでしか体が動かない。
深海にて
光というものへ、この文が届くことを願い深海から愛をこめて。
私は深い海の底にいる命である。
ここは暗く、光なんてものは知らない。
私は彼の地を夢見るもの
冷たく微かな呼吸の中で 想いを馳せるは外の世界
いつか出会う日がくるとするならば、
その時は光なるものを浴びる時
私は彼の地を夢見るもの
光なるものに想い馳せるもの
入院しました。
「楽しいものの先にあるのは不健康である」
ことある事に辿り着く結論。
肺気胸で入院しました。
実は症状が出てたのは半月くらい前からだった。
でも俺含めた家族全員が肩こりか風邪位の認識だったけど、一週間前くらいから激しい胸痛に再度悩まされてて、3,4日前からそれと並行で周りが心配するレベルまで咳が止まらなくなったので、「いよいよ病院に行かなきゃいけないっぽい」みたいな空気が我が家にやっと漂い、病院に行ったところレントゲン撮って直ぐに「自然気胸ですね〜」ってサラッと言われた。
事前に調べてたからやっぱりな〜と思ってたら「このレベルは入院ですね〜」ってこれまたサラッと言われた。
人間って本当にびっくりした時めちゃくちゃ笑っちゃうな。
診察室でたら「言葉にできない」が流れてたしな。こっちのセリフだよ。
CTとレントゲンを見たら、左の肺が明らかに縮んでいて、そこから漏れた空気が左だけでなく右の肺までをも圧迫していたのだとか。
そりゃ息苦しくもなるわな。
SNSでめちゃくちゃみんな心配してくれてなんか泣きそうになった。
病人アピールしてごめんかまちょなの俺。
でも既に処置を終えて、あとは体内の空気が抜け、肺が膨らむのを待つだけとなったから体内にチューブ入れて思うように身動き取れないこと以外はピンピン。
対応の速さに正直めちゃくちゃびっくりしている。
プロフェッショナルやべぇ。
己の健康な姿というものは、健康な状態では感じることは出来ないものだと痛感した。
みんなも体調管理気をつけてください。
体は資本だし、体調崩すとホントに良いことないので。
あと、俺は「いつまでもみんなが元気でいてくれたら良いな」って自分が病気を患わないと思えなかったのでそういう所も成長したいと思います。
もうすぐ20歳なので。
皆さんの健やかな成長を祈っておやすみなさい。
少年は自棄になった
ここ数日、情緒があまりにも不安定で自分で制御出来ない。
原因は幾つかあるんだけど、どれもこれも「辞める」とか「終わらせる」ことでしか解決出来ないことしか無かった。
今までの人生が諦めだの挫折だの飽きだので構成されているくだらない人生なので、これだけは!というものを見つけた俺はどうしても諦めきれない。
人の評価に踊らされて、今置かれている状況と自分が今いる場所のギャップで死んでしまいそうになる。
いま描いている絵も意図がない。
何がしたいのかがわからない。
こんなことならいっそのこと描かない方が良い。
これは憶測とかじゃなくて経験上、それが一番いいのだ。
行き詰まったら別のことをして頭をリフレッシュされることが、ものを作るにおいてかなり効果的だったりする。
ギターだの作曲だのはその一環でもある。
ただ最近本当に誰かに感情を込めて褒められてない気がしてしまう。
人が信じられない時期が来てしまった。
これが冬のせいなのか俺のせいなのかはわからないが、こういう時は自棄になるしかない。
もうどうしようもないほど精神が狂い始めている。
だから寝る。
助けてくれふぁっきゅー
眩いよ いつだって
日々は奇跡の連続だってどっかの漫画で言ってた。
間違ってはいないんだろうなと常々思う。
自分がここに立つまでの経緯を考えると特に。
親が、祖父母が、先祖代々を考えていくと気が遠くなるほどの人の元に僕がいる。
この世の全ては美しい
何故ならいつかは失うものだから
人間は忘れる生き物であり、いつか消えゆく運命にある生き物である。
だから忘れてしまっても良い。
いま立つこの場所も、そばにいた人達のことも。
ただ、そこにあった日々が眩いものであったことを覚えていればそれでいいんじゃないかと僕は思うんです。
それだけで良いんです。
成人(仮)
明日、というか今日は成人式である。
正直まだ成人していないので実感は全くないけど国が指定しちゃったから成人の仲間入りだ。
大人と呼ばれる存在にこれからならないといけない。荷が重い。
僕達は人間なので大人になると、というか時間が経つといろんなことを忘れてしまう。
桜の下、校庭、友達と過ごした日々、先生からの教え、勉強内容、登下校。
抽象的には覚えていても具体的にはもうすっかり頭の中からはすり抜けていくことばかりである。
「絶対忘れないでね」
なんて言ってたあの子の言葉はどこへやら、まるでなかったことのように毎日は淡々と過ぎていく。
そっちの方がどちらかと言うと都合がいい。
僕が言わずとも生活は続く、僕はこの日,この歳で感じたことをいつまで覚えているのだろうか。
あの日交わした言葉のように、するりするりと抜け落ちるのが怖いと感じるのはいつまで経っても臆病な僕だからなのだろうか。
親友は式に来ない。
オシーラセ
別にここで書かなくてもいいんだけど、Twitterに書いちゃうと流れてしまうものもあるのでここに残します。
2019年度、つまり3回生は4年間という短い大学生活の中でも一番の分岐点だと考えている。
僕はクリエイター職を本気で考えているので、その時にどうやったら色んな人に見てもらえるのかをずっと考えてた。
結果はというと、そこそこ。
どちらかというと良い感じ。
インターネットだけじゃなくて周りの人からも絵を見てもらえたり、依頼を頼まれたりとそこそこに充実した。
しかしながら僕は欲張りなのでまだ求める。
そこで考えたのが、「描くテーマ、キャラクターを一つに絞る」という考え方。
簡単に言うと「しかるねこ」だの芦沢ムネト教頭の「フテネコ」だの。
ちょっと違うけど、そういった感じのことをしていこうかな〜とかとか。
何を描くかは言わずもがな、あのおばけなんですけど、僕は漫画が描ける脳みそはないので1枚絵を兎に角毎日投稿することを目標としている。
名前は
「GHOST IN THE SHELTER」(以下"GITS")
意味はマジでない。互換だけで決めた。
避難所のおばけです。
攻殻機動隊っぽいけど違うから注意。
怒られたら変えます。
SNSをとにかく使って、自分をしっかりアピール出来るかがこの1年を大きく左右するんじゃないかと考えている。
もちろんちょ〜の活動は止めないしあっちはあっちで楽しいからやる。
そしてここもまた新たな取り組みとして、配信する視野を広げて海外のイラスト投稿サイトにも登録した。
まだ投稿はしてないけど、こっちはちょ〜の絵も一緒に上げた方が良さそうだな〜なんてことを考えている。
新しい試みをしないとダレるし、惰性でやるのは1番良くないから新しいを更新しなきゃ行けない。
いまとてもワクワクしている。
GITSに関しては、海外ユーザー向けに活動しようとしている。
この判断が吉と出るか凶と出るかは先になったらわかる話だから見守っててくれ〜!
それだけです。
何卒、よろしくお願いします。
もうめちゃくちゃ眠いので寝ます。
明日の良い感じの時間から動かします。
乞うご期待!!