ノイズに負けるな
面白いこと思いついた。
必要なのは知識と習慣づけと根気だけ。
したいこととか目標があると楽しい。
どんだけ回り道でも、がむしゃらにそこに向かってればいいんだから楽しいし楽。
それをぬるま湯に浸かっている状態だと「ネムルバカ」でも言ってたけどある意味正しい。
し、俺はぬるま湯に浸かっている状態だという自覚がある。
当たり前だけど、先のことなんて誰もわからんのだ。
だからやるしかねーのよ。
やれたら良いな〜とか出来たら良いな〜なんてぬるい事言ってたらそのまま死ぬぞ?
くそつまんねーよなそんなの。
口だけで言ってると脳がない。
だからやる。手を足を頭を動かす。
それでしか示せないものが世の中には腐るほどある。
周りは見るな。退屈は殺せ。
夢からさめるまえにやることやるぞ。
しわあわせ
おててのしわとしわをあわせてしあわせ
なんのこっちゃって感じだけど、そういう人もいるみたい。
幸せの形とか感じ方とか表現方法は人それぞれである。
例えば、「恋人や好きな人といることが幸せ」なんていうのろけた考え方の人もいれば、「人を貶める瞬間が一番の幸せ」なんていう輩もいることであろう。
そういう人の感じ方は大概「快感」や「満足」なんて言葉が綺麗に当てはまるのだろう。
俺もその例には漏れない。
ただそういう時に限って「あーもうこのまま死んでもいいかもな〜」とか思う。
俺にとって幸せから得られるものは「満足」であることは確かなんだけど、それと同時に「空虚」みたいなものが必ずと言っていいほどまとわりつく。
満たされているはずなのにだ。
いや、多分逆だな。満たされているからこそ空虚がセットなんだろうな。
満たされたからこそぽっかり空く穴がどっかにある。
この世に100%はない。
人生は100%になった瞬間に生きる意味が無くなっちゃう。そうなると余生はこの世にある無関心と共に過ごさないといけない。
だから人間は後悔をするのだろう。
みんながみんなそうという訳ではないと思うけど、俺はそう思う。
幸せは時に人を殺す。
俺は幸せに殺されたくないので願うことは、
「明日が今日より良い日でありますように」
これだけで良いかも。
「友達」の線引きがわからない
「友達」という言葉は実に難しい言葉だと常々感じる。
先日、大学の先生と課題のテーマを混じえたディベート会のようなものが開かれた。
その時、「友達」というモノの線引きや概念についての話が度々出てきて、いわゆる「友達はどこまでを友達と呼ぶか」と言ったものだった。
その問いに対して僕は「お互いが友達だと感じていたら」という解を出した。
だが、ここで1つの疑問が生じた。
「自分が友達と思っている人物は本当に自分のことを友達だと思っているのか」ということだった。
我ながらネガティブな思考だなとは思っているけど、そのことを考えずには居られなかった。
「友達」の線引きの正解が上記の考え方なら、僕は「この人は友達だ!」と胸を張って言える人間は片手で数える程しかいない。
ただ、自分のことを友達だと思っているのかなんてことを聞くのは誰がどう考えたってナンセンス。
お昼の放送でVOCALOIDの楽曲を流した田中くんと同じだ。
そして、僕は学科の人もサークルの人も実名を出さない限りは「学科の子(人)」「サークルの子(人)」という名称で家族と会話をしていることにも気づいた。
知らず知らずのうちにそういったはっきりとした線引きをどこかでしていたのかもしれない。
他人の愚痴は好きじゃないし、他人に対して嫌いな部分を見つけようとは思わない。
ただそれって付き合いが薄くて上辺だけの関係だからなんじゃないかって最近考え出したりしちゃった。
こうなったらもう蟻地獄。簡単に抜け出せる術ははっきり言ってない。
「他人は自分を映す鏡」と昔の人は語った。
でもそこに「友達」という曖昧な概念はどこにも存在しない。
いままで簡単にしていたことである他人にどう接してたのかがいよいよわからなくなったからなのかそれとも単純に体が疲れているからなのかとても眠たくなってきた。
ボヤける意識の中で、イヤホンからは「このままではこのままです でもそのままが1番かもよ」なんて歌ってるミュージシャンの乾いた声が聴こえた。
「それはそうかもな」と思う間もなく、浅い浅い眠りについた。
故郷ノ空
地元が嫌いだ。
今住んでいるんだけど、めちゃくちゃに嫌い。
人も嫌いだし街も嫌いだ。
良い思い出よりも悪い思い出の方が多いしそういうことほどよく覚えているものだ。嫌な話だけど。
ただ、僕の街は住むには良い条件が揃っているとは思う。
都会まで30分もあれば着くし、お金もそこまでかからない。
衣食住は整っているし、山も海も自転車で行ける距離にある。
なんなら掘り起こされていない埋蔵金伝説もある。
本当に住むにはもってこいの土地だ。
だが、そんな故郷の街は僕の深層心理に深く染み込み痕を残した記憶によって首を絞めんと僕に襲いかかるのだ。
真っ黒な掃除ロッカー、真っ白な黒板消し、早朝に轢き殺された狸の真っ赤な死骸。
そういった色のついたものが故郷の空を、そこに住む僕の瞳を、遠い過去に置いてきた春を濁った青に染めたのだ。
僕が言ったことをたまには嘘だと思って欲しい
僕はよく1人になることが少なくない。昔も今も変わらず。
ただ「多い」訳では無い。「少なくない」。
先生が「2人1組でペアになって〜」って言ったら3回に1回くらいの確率で先生がペアになるくらいの確率。
実際そうだった。
僕がそうやって1人でいようとする理由とか心理は多分2つしかなくて、それが「1人でいれば本当に独りになった時に楽だから」と「格好がつくから」
僕は別に友達がいないわけじゃない。でも多くはない。
"自分のミスでその多くない友達を1人でも失くした時、僕はどうすればいいんだろう。"
みたいな笑っちゃうほどくだらない理由で出来る限りの間合いを計って人付き合いをする。
本当にくだらない。
ただ疎外感を感じない訳ではない。
むしろすごい寂しい。
元々ホントに独りだった時があったからなのか分からないけどすごい寂しい。
でも強がっちゃう。「1人の方が楽」とか言っちゃう。そっちの方が格好がつくから。
だからちょっと前にサークルや学科の友達は「いつも申し訳ないって思ってる」みたいなことを言われたけど、どう考えても彼,彼女たちに罪はないし、悪いのはそんなことで疎外感を勝手に感じている僕の心の余裕のなさだ。
そんな僕も心の余裕のなさに友達を巻き込んでしまってることにとても罪悪感を感じる。
ホントにごめん。弱っちいのは体だけじゃないんだよ。
そんなことを考えながら、友達と同じ車両に乗り込んでわざわざ1人で音楽を聴きながら今日も帰ってきた。
「一人でいる方が楽なんだよね」ってまた言ってた。
ホントに、どうしようもないほどにくだらない人間だ。
変わり果てた景色と2GBのWindows95
先日、祖父が受け持つマンションに隣接していた写真屋が廃業し、建物が取り壊された。
SoftBankショップになるらしい。よりによって。
19年間、僕の日常の一部となっていた景色が突然消えてしまった。
ただ、「ずっと忘れない」なんて華やかな言葉で飾り付けれるほど僕の脳内の記憶媒体は有能ではない。
実際、再開発された駅前のされる前の姿を僕は全く覚えていない。
なんなら中学2年生の時の先生の声、顔、名前全てを忘れた。
人の記憶なんて言うのはその程度のもので、どんな記憶でも時が経てば頭からはあっさり剥がれ落ちてしまう。
Windows95のPCのように重い上に容量がまるで足りないと中にあるデータを消さないといけない。
あまり過度な期待をしてはいけない。
いつバグが発生して全ての記憶が消えてしまうかわからない。
そして僕たちの体内はそれを予知するほど便利なものでは無い。
シャットダウンして早く寝なさい。
僕と人生を変えたバンドのお話
人生を変えた〇〇、聞き方によってはすごい良い事のように感じるけど本当は「人生が変わった」んじゃなくて「人生が狂った」だけなのかもしれない。
僕は多分そう。音楽に人生を狂わされた。
でも嫌だとは思わないからこれは「人生が変わった」の方が適切なのかもしれない。
Kidori Kidori。僕の人生を狂わせたロックバンド。
始まりは2014年に父と言ったRUSH BALL。
当時はスガシカオとフジファブリックしか聴いてなかった僕にとって、音楽フェスという存在はとても新鮮だった。
見たことも聞いたことも無いような音楽が溢れ、脳みそのキャパシティを悠々と超えるほどのジャンルレスな音楽の洪水。
それが最初の印象。
その中でも僕の中で印象に残っていたのはKidori Kidoriだった。
彼らはRUSH BALLの所謂サブステージ、「ATMC」というステージに立っていた気だるそうなもじゃもじゃ頭と優しそうなモヒカンの兄ちゃんとメガネのベーシスト(元andymoriの藤原さん)という編成。
RUSH BALLに行く前に父と曲をチェックしていて、the band apartとKidori Kidoriを天秤にかけていた。
割と即答でKidori Kidoriを選んでいた気がする。
高校一年生の僕にとってバンアパの音楽は高尚すぎたのかもしれない。
その年のATMCステージはほんとに色が濃くて変なバンドがいっぱいいた気がする。Kidori Kidoriの前が確か神聖かまってちゃん。その前はtricot。その前がNorthern19だったかな?SHISHAMOも確かいた気がする。
ほんとにジャンルレスで色んなバンドが自分たちの音楽を鳴らしていた。
そんな中でKidori Kidoriは当時UKロック、バチバチのブリティッシュな音楽をしていた。
気だるそうなもじゃもじゃ頭が歌っていた「テキーラテキーラ」は変な曲だな〜くらいにしか思ってなかったし、MCはドラムの人との漫談みたいなゆるい感じ。ほんとに変なバンドだなって思ってた。
ただ最後に演奏した「Come Together」で僕の中の何かが完全に弾けた。
5拍子を主軸としたリズムテンポにノイジーかつ鋭いサウンドに僕の心は鷲掴みにされ、瞬く間に彼らの虜となった。
全バンドが終了して家に帰ってからずっとその曲を聴いてた。
その2週間後くらいにCome Togetherが収録されている「El Blanco 2」を購入当時はiPodがあったからCDは擦り切れてはなかったけど、CDプレーヤーでしか音楽を聴けない時代であれば確実に擦り切れるほど聴いていたであろうレベルで夢中になって聴いた。
その後、1st,2ndアルバムの「El Primero」「La Primera」をレンタル。
今までじゃあ考えられないくらい音楽に夢中になり、Kidori Kidoriの音楽を軸にして様々な音楽を聴き漁った。
まさに彼らは僕にとっての「青春」であり、人生を形作る上でのキーとなる人物であった。
しかし、今までサポートをしていたベースの藤原さんの終了と共に現れた汐碇 真也(ex.BAND A,Yap!!!)。
こいつがかなりなんというか、ある意味キーマンだった。
彼は半年ほどのサポートを経て正式メンバーになった。
それから彼らの音楽は変わってしまった。
今までのノイジーなサウンドにマヌ・チャオに影響を受けたエッジの効いた社会的な英語歌詞が一変、ドリーミーなサウンドを基調としたゆるい日本語歌詞を主軸としたCD、「!」(雨だれ)を発売した。
元々マッシュは細野晴臣フォロワーなうえ、日本語歌詞も書いていたので別段おかしいことではなかった。
でも、少し拍子抜けした部分はあった。
これを期に、僕はKidori Kidoriと少し距離を置いた。
(その後、様々な音楽を聴き始めた僕はPELICAN FANCLUBとも出会う)
ところが、正式メンバーになって半年くらい経ったある日、脱退を発表した。
理由は「人間関係の不和」。
仮にそうだとしても言わないのが筋だと思っていたし、本当に彼のことが僕は嫌いになった。
その後、Kidori Kidoriは2ピースとして活動を続けることを決めた。
その時の企画にも行った。3月、ライブハウスは心斎橋にあるPangea。
対バンは「Helsinki Lambda Club」でO.Aは「Slimcat」だった。
そのステージでのKidori Kidoriは、本当にかっこよかった。
2人でもかっこいい音楽は出来るんだなと興奮したのを覚えている。
ただ、全体的にバンドの終わりみたいなものを感じざるを得なかった。認めたくなかったけど。
その4ヶ月後の7月にKidori Kidoriは本日付けでの解散を発表した。
急な出来事ではあった。でもあのライブで見た彼らを見ていると長く続きはしないだろうと思っていた部分はあったので複雑だった。
1度始まったものはいつか終わる。
それはわかっているけど、あまりに僕の彼らによる情熱と愛が大きすぎた。
もうあのライブが見れなくなるのかと考えると「なんだかもう」という気持ちでいっぱいになった。
今では僕もサークル内だけとはいえ、バンドを始めた。
2ピースバンド。
確実に影響はされてる。
むしろバンドの核的存在である。
The Mirrazの畠山がArctic Monkeysを崇拝するように僕もKidori Kidoriを、塔本佳祐を崇拝し、いつまでも彼らの背中を追い続けているんだなと思った。
今日はなんかそういう日。
「Just because no one knows.
Don’t be afraid to expose.
(誰も知らないというだけで剥き出しにすることを恐れるな) 」