いきるについて

人が死んだ。

みんなが悲しんだ。

でも僕は生きてる。

 

誰かが死んだ。

その裏では誰かが命を授かった。

僕は息をしている。

 

同級生が死んだ。

知ったのは随分と後だった。

僕はまだ生きてる。

 

誰かが死にたいと呟いた。

僕も死にたいと思った。

でも僕は生きている。

 

誰かのために生きるとか

自分のために生きるとか

考える余裕ははっきり言ってない。

 

「多分、人はどこかで自分が生きている時代と一体化している。」と故 橋本治は自身のエッセイで語った。

 

そういうものなのだろうか。

 

今日も誰かが節目を終えて、

今日も誰かが命を授かり、

今日も僕らは明日へと歩き出す。

 

もうすぐ一つの時代が終わる。

生活ってなんだろう。

いきるってなんだろう。